教養

人生二度目の落城でお市が自害を選んだ理由


2017.01.25

「戦国一の美女は誰?」と聞かれたら、多くの人が真っ先に思い浮かべるのがお市(いち)の方ではないでしょうか。織田信長(おだ・のぶなが)の妹であり、見目麗しき姫として天下にその名を知られ、近江小谷(おうみおだに)城(滋賀県長浜市)の戦国大名・浅井長政(あざい・ながまさ)に嫁ぎました。しかし、彼女が身を挺(てい)して築き上げた織田浅井同盟は、わずか2年で崩壊。愛した夫は兄に殺され、3人の娘とともに兄弟の信包(のぶかね)の下で預かりの身に。そして本能寺の変のあと、織田家の重臣・柴田勝家(しばた・かついえ)に嫁ぐも、勝家の居城・北庄(きたのしょう/北ノ庄)城が落城する際には、夫とともに自害する道を選びました。なぜ彼女は自らの命を絶ったのでしょうか。東京大学史料編纂所教授の本郷和人 (ほんごう・かずと)さんが考察します。

 

*  *  *

 

1583(天正11)年、柴田勝家は羽柴秀吉に居城・北庄城を落とされます。このときお市は、3人の娘を逃がしたあと、勝家とともに自害しました。一度目は生き延び、二度目は死を選んだ。その理由はいくつか考えられます。

 

1つめはこれ以上政治の道具にされるのが嫌だったという説。もしかするとお市は、浅井家滅亡時にも死のうとしたのかもしれない。しかし3人の娘はまだ幼く、信長も生きていた。死ぬことを許されなかったのかもしれませんね。

 

2つめは勝家の人間的な魅力に惹(ひ)かれたという説。勝家とは26歳差と親子ほど年が離れていました(自害時の勝家は62歳、お市は37歳とされる)が、お市は尾張時代から勝家のことを知っていたはずです。また勝家はそれまで妻帯しておらず、正室といえるのはお市だけです。勝家もお市のことをずっと慕っていたのかもしれません。

 

また3つめとして、お市は小谷城を落とした秀吉のことが嫌いだったという説もあります。死をもって秀吉のものになることを拒否したという訳ですね。もちろんこの3つ以外の、まったく違う理由だったかもしれません。みなさんも、いろいろと想像を巡らしてみてはいかがでしょうか。

 

■『NHK趣味どきっ! 姫旅 華麗なる戦国ヒロイン紀行』より

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