教養

熾烈なまでに悲し、どこまでも美しい言葉


2016.09.15

水俣病の、後に確認される最初の患者が発症したのは1953年。日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場が1932年から水俣湾に排出し続けたメチル水銀が原因でした。沿岸の被害者は、脳などの中枢神経を破壊され、手足のしびれや震え、舌のもつれ、視野が狭まるなとの症状に苦しみ、命まで奪われました。水俣病に冒された人々の声を酌み、近代的な闇を描くとともに、普遍的な問いを投げかけているのが、石牟礼道子(いしむれ・みちこ)の『苦海浄土』です。

 

9月の『100分de名著』では、批評家の若松英輔(わかまつ・えいすけ)さんを講師に迎え、この20世紀日本文学を代表する作品を読み解いていきます。まず、本文に入る前に、坂本きよ子という女性をめぐって石牟礼道子が書いた作品を読みたいと思います。

 

*  *  *

 

石牟礼は、1969年に『苦海浄土』の第一部を出版しますが、きよ子の存在を知ったのはその翌年のことでした。その年の6月に彼女は、坂本一家との出会いの記録を水俣運動の機関誌『告発』に発表します(原文は『わが死民─水俣病闘争』創土社所収)。

 

『苦海浄土』の第二部の初めにも、きよ子にふれた記述があります。そしてきよ子の家族に会ってから四十余年後の2013年に石牟礼は、「花の文(ふみ)を─寄る辺なき魂の祈り」で改めて、きよ子をめぐって書くのです。この作品には『苦海浄土』という作品全体を象徴する次のような一節が記されています。

 

「きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。

 

それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲った指で地面ににじりつけて、肘から血ぃ出して、

 

『おかしゃん、はなば』ちゅうて、花びらば指すとですもんね。花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。

 

何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。それであなたにお願いですが、文(ふみ)ば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に」

(「花の文を─寄る辺なき魂の祈り」『中央公論』2013年1月号)

 

雑誌でこの一文を読んだときの衝撃は、今でもまざまざとよみがえってきます。昔の日本人は、悲し、哀しとだけでなく、「愛し」、「美し」と書いても「かなし」と読んだといわれますが、この一文はそうした悲しみの深みに読む者を導いてくれます。熾烈(しれつ)なまでに悲しいのですが、どこまでも「美しい」何かを読む者の心に残してくれる言葉であるように私には感じられます。

 

しかし、石牟礼はきよ子に会ったことはありません。先の一節も、きよ子の亡き母親が語った言葉でした。きよ子の両親もまた、水俣病で亡くなります。

 

語り得ない思いを胸に抱いたまま、「たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした」という生涯を送った者の「声」になること─それが、作家石牟礼道子の悲願であり、『苦海浄土』において試みられたことでした。

 

さらに、「文ば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。いや、世間の方々に」という願いを胸に受け、石牟礼は今日もなお、「文」を書き続けているのだと思います。

 

『苦海浄土』で最初に書かれたのは、第三章にあたる「ゆき女(じょ)きき書」です。1960年1月に石牟礼は、当時参加していた機関誌『サークル村』に発表します。当時の題名は「奇病」でした。

 

『サークル村』は、炭坑の人々に詩の言葉を届けたいという願いから始まった雑誌でした。作品を発表した頃、石牟礼は詩や和歌を愛し、文学にも深い関心はありましたが、本も出したことのない、家庭を持つひとりの女性でした。読者も、辛い状況を生きている、本当の言葉を求めている人たちで、文壇の評判に従って作品を読むような人々ではありませんでした。

 

『苦海浄土』は、既存の文学の世界から生まれたのではなく、民衆が、民衆の目に映ったものを、民衆のために書いた言葉でした。だからこそ、もっとも積極的な意味において野草のような強さを持つ作品になり得たのでしょう。そこには次のような言葉が記されています。

 

「う、うち、は、く、口が、良う、も、もとら、ん。案じ、加え、て聴いて、はいよ。う、海の上、は、ほ、ほん、に、よかった」

(第三章「ゆき女きき書」)

 

水俣病は、神経の自由を著しく害(そこ)ない、言葉を奪う病です。先の言葉を語ったゆきも、すでに思うように話すことはできません。自分はもう流暢に話すことができないから、申し訳ないがよく耳を傾けて聞いて欲しい。海の上で過ごした日々は、本当に幸せだった、と言うのです。

 

この言葉を読んで、何より驚かされるのは、きよ子と同じで、ゆきも恨み言を言わないことです。なぜ私がこんな目に遭わなくてはならないのか、と窮状を訴えるのではなく、海はとてもきれいだったと、幸福の経験を語り始めるのです。

 

石牟礼が、作品を通じて伝えたいと願ったのも恨みの連鎖ではありませんでした。当然ですが恨みがないはずはありません。むしろ、筆舌に尽くし難い恨みがある。しかし、それとは別な場所に患者たちはこの世界への、あるいは隣人たちへの情愛を深めていったのです。

 

チッソに象徴される近代産業社会が犯した、許されざる罪を不問にすることは絶対にしてはならない。実態は、どこまでも明らかにされなくてはならない。償いも、真の限界まで行われなくてはならない。しかし、罪を糾弾(きゅうだん)するだけで終わってもならない。それはむしろ、患者たちが苦しみと悲しみの果てに見出したものに耳を閉ざすことになる。背負いきれないような苦難を背負ってもなお、世界は美しいと語る無名の人々の言葉──そして、それによって照らし出される、私たちが日頃見逃している世界の輝きも──見過してはならないのだと思います。

 

■『NHK100分de名著 石牟礼道子 苦海浄土』より

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