教養

歌人それぞれが詠(うた)う「老いの実感」


2014.12.02

「塔」主宰の永田和宏(ながた・かずひろ)さんが、人生における一場面を切り取った歌を取り上げて解説するテキスト『NHK短歌』の連載「時の断面——あの日、あの時、あの一首」。12月号のテーマは「老いの実感」です。

 

*  *  *

 

十といふところに段のある如き錯覚持ちて九十一となる

土屋文明(つちや・ぶんめい)『青南後集』

 

土屋文明は1990年、ちょうど百歳で亡くなりましたが、この一首はその十年ほど前の歌です。なぜ人は十年単位で歳をとったという実感をもつのか。文明はそこのところに疑問を持ちます。「十といふところに段のある如き錯覚」、それはまさに錯覚であって、自分の体内を流れている、あるいは自分のまわりを流れている時間には切れ目も段もなく、十年という単位は生物学的には何の意味もありません。にもかかわらず、九十歳という誕生日は八十九歳とはやはりどこか違う。そんな十年単位で段があるような歳のとりかたを重ねつつ、ああ、自分はこうして九十一歳になってしまった、と文明は詠います。

 

十年という単位もそうですが、老年になるに従って、いわゆる年祝(としいわい)が歌にも頻繁に出てくるようになります。還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿などですね。ついでに言っておきますと、これら年祝の言葉を使った歌で採れる歌は稀にしかありません。既成の語に寄りかかり、年齢を祝うという既成の枠組みに乗っかっているので、歌としておもしろい切り口がなかなか示せないことがその理由なのでしょう。

 

ともあれ、現実世界にそのような特別の年が認められてあるのはなぜなのか。私の勝手な思い込みですが、歳をとるに従い、時間にめりはりがなくなってゆくのは如何ともしがたい。緊張感のないのんべんだらりとした時間がただぼうぼうと過ぎてゆくだけ。そんな時間をどこかで特別の時間と意識することによって、生きることのめりはりをつけ、次の年祝までの時間をなんとか生き継ごうという願いへと繫がる、生きようとする意志へと変化する、そんな意味合いは確かにありそうです。

 

合理主義者の土屋文明ですから、十年を一区切りとする歳の感じ方には違和感を覚えるのでしょうが、とまれ、かくの如く齢を重ねて九十一歳になったという感慨でしょう。

 

九十になりて生けりし過ぎゆきの三年に足らぬ兵の重みはや

山本友一(やまもと・ともいち)『縁に随ふ歌』

 

同じ九十歳を詠っても、山本友一の九十は、ここでは圧倒的な重みを持っています。山本は九十歳になった。それに深い感慨を持ちます。しかし、その九十年という時間のあいだに、自分には忘れようとして決して忘れることのできない特別の時間があった。それは兵としてあった三年という時間だったと詠うのです。山本は旧満州で鉄道建設のための任務についていましたが、その間、昭和十六(1941)年から十八年まで陸軍歩兵二等兵としてソ満国境に配属になりました。その間の兵としての三年を詠っています。

 

歌集『縁に随ふ歌』は第十四歌集にあたりますが、その末尾に近く置かれた一首が掲出歌です。九十年という途方もない時間を生きてきて、その長さを思う時、時間の長さとしては取るに足りないわずか三年の記憶が、九十年にも見合うほどの重さをもって私の中にはいまもなお生きていると言うのです。愉しい時間ではなく、過酷な辛い記憶の詰まった時間なのでしょう。そんな、長さだけでは計れない人生時間というものの存在を静かに告げているような一首です。

 

■『NHK短歌』2014年12月号より

このエントリーをはてなブックマークに追加

  • テキスト定期購読

  • テキストビュー300×56

000064072452019_01_136

NHK出版 学びのきほん 役に立つ古典

2019年06月25日発売

定価 724円 (本体670円)

000064072442019_01_136

NHK出版 学びのきほん ブッダが教える愉快な生き方

2019年06月25日発売

定価 724円 (本体670円)

000064072462019_01_136

別冊NHK100分de名著 集中講義 三国志

2019年06月25日発売

定価 972円 (本体900円)