教養

伴侶の介護を詠んだ短歌


2014.09.07

配偶者の介護には、親の介護とは違う辛さと悲痛さがある、と語るのは「塔」主宰の永田和宏(ながた・かずひろ)さん。倒れた妻のそばに寄り添い続ける歌人、桑原正紀(くわはら・まさき)さんの歌を解説していただきました。

 

*  *  *

 

「親の介護」の問題が、誰にも訪れる加齢に密接にリンクしているのと異なり、伴侶の介護は、多くの場合、病気に伴うものが多いようです。寄る年波には勝てないと、半ばあきらめざるを得ない老化に伴う介護ではなく、まだ十分若いあいだに不意に襲われた病気のための介護には、なぜ自分たちだけがこんな目に、と諦めきれない不遇感と切り離して考えられないところに辛さと悲痛さがあると言えるでしょう。

 

車椅子日和といふもあるを知り妻のせて押す秋晴れの午後

桑原正紀『妻へ。千年待たむ』

 

立つたまま妻抱きをればダンスすると思ひけるにや「音楽ハ?」と訊く

 

「一人で歩けるようになればいいね」と言ひたれば「このままでいいの」と妻は言ひたり

桑原正紀『天意』

 

桑原正紀の妻は高校の校長をしていた女性でしたが無理をしすぎて、ある朝突然倒れてしまいました。脳動脈瘤破裂、いわゆる脳溢血です。「耳もとで汝が名を呼べどしんとして古(ふる)深井戸のごときその耳」とも詠まれているように、意識が戻らない時間が続きます。長いあいだ、まさに死線を彷徨ったのち、一命をとりとめますが、重篤な障害が残り、認知機能も大きく損なわれてしまいました。

 

それ以降、桑原正紀はまさに妻の介護に自分の人生時間のすべてを費やすといった生活をつづけ、足掛け十年になろうとしています。「車椅子日和」というのは、なるほど病人を抱えた家族にしか思いつかない言葉でしょうが、そんなのどかな言葉にでも縋(すが)らなければ、その苦しさは乗り越えられないものかもしれません。会話などはかなり回復したものの、海馬領域の大きな欠損から、自らの現在の状況を把握するまでには至らないと言います。抱きかかえる夫に、古い時代のダンスの記憶がよみがえったのでしょうか、そんな無邪気な問いかけに夫は言葉を失ってしまいます。

 

しかし、妻の意識のなかでは現在の状況が過酷なものと認識されていないことは、せめてもの妻の幸せであり、夫の慰めでもあるのかもしれません。「このままでいいの」という妻の言葉は、悲しいものですが、子供のいない桑原夫婦にとって、「このままでいいの」という、妻のほのぼのとした状況把握は、二人きりの会話を続けていける幸せなのかもしれません。

 

■『NHK短歌』2014年9月号より

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