教養

隠れ家へ移動するときでさえ失われなかったアンネのユーモア


2014.08.12

アムステルダムに現存する隠れ家(アンネ・フランク・ハウス)

『アンネの日記』を書いたアンネ・フランクとその一家が潜伏生活を送ることになるのは、アンネの姉マルゴーに宛てた出頭命令を受け取ったことがきっかけだった。ゲシュタポの監視をかいくぐりながら、隠れ家へと移動したのは1942年7月6日。こんな時にあっても、アンネはユーモアを交えてその時の様子を日記に記している。作家の小川洋子(おがわ・ようこ)氏は、悲惨のなかにあるユーモアをも見つけることができるのは文学の書き手としての大切な資質であると言う。

 

*  *  *

 

 家族一同、まるで北極探検(ほっきょくたんけん)にでも出かけるみたいに、どっさり服を着こみましたが、これもできるだけたくさん衣類を持ってゆくための苦肉(くにく)の策です。(中略)おかげで、家を出ないうちに窒息(ちっそく)しそうになりましたけど、さいわいそのことを詮索(せんさく)しようとするひとはいませんでした。

(1942年7月8日)

 

まず、マルゴーがアンネより一足先に、ダヴィデの星を外し、自転車に乗って、支援者のひとりであるミープ・ヒースとともに家を出ました。ユダヤ人は、星を外すことも自転車に乗ることも禁じられていましたから、ミープがいかに自ら捕まる危険をおして、この重大な役目を負ったかがわかります。

 

そして残る3人は、雨の降りしきるなか市電に乗ることも叶(かな)わず、隠れ家であるオットーの会社まで歩いて行きました。ユダヤ人が大きなスーツケースを持って家を出ると怪しまれた時代です。4キロの道のりは危険と隣り合わせだったと思いますが、驚くべきことに、アンネの洞察力は別の方に向けられています。

 

通りかかる出勤の人びとは、気の毒そうな目でわたしたちを見ています。その表情を見れば、乗せてってあげようと言えないために、とてもつらい思いをしているのがわかります。いやでも目につくどぎつい黄色の星、それがおのずから事情を物語っているのです。

(同年7月9日)

 

アンネは、オランダ人たちがけっして疑いの目を向けるのではなく、乗せていってあげたいけれどそれができない苦しい目をしているということを感じ取っているのです。自分の人生にとって一大事が起きている最中にも、自分以外の世界を観察している。悲観的な面にとらわれるのではなく、状況を冷静に把握して、悲惨のなかにあるユーモアをも見つけることができる──。これは間違いなく、文学の書き手としての大切な資質です。

 

あまり注目されていませんが、『アンネの日記』につねにユーモアが内包されている事実は、重要なポイントです。ここには、なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのかという、いわゆる愚痴や恨みつらみがありません。ヒステリーも、グズグズした泣き言もない。大人たちに向かう批判の仕方は、愚痴とはまた違うものです。

 

おそらく現実のアンネは、もうすこし子どもっぽい部分を持っていたでしょう。でも、日記と向かい合ったとき、彼女は大人になったのです。「言葉を探す」という作業が、彼女を年齢以上に成長させたのだと思います。

 

■『NHK100分de名著』2014年8月号より

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