教養

『遠野物語』に見る「神隠し」と「魂の行方」


2014.06.25

柳田国男

柳田国男(やなぎた・くにお)は、神隠しに遭いやすい気質であると自分で認めていたという。柳田の代表作『遠野物語』には、神隠しの話がいくつも収録されている。東京学芸大学教授の石井正己(いしい・まさみ)氏は、神隠しは生と死の間にある、不安定な境界に起こる出来事であると話す。

*  *  *

『遠野物語』には、いわゆる「神隠し」の話がいくつもあります。たんに神に隠されたというだけではなく、娘が山男に連れ去られ、山中でその娘に出会ったという話が、狩人によって具体的に語られる場合もあります。神隠しに遭いやすいのは女性や子供で、夕方が危険な時間帯だとされています。

八 黄昏(たそがれ)に女や子共(こども)の家の外に出て居る者はよく神隠しにあうことは他(よそ)の国々と同じ。松崎村の寒戸(さむと)と云う所の民家にて、若き娘梨の樹の下に草履(ぞうり)を脱(ぬ)ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或日親類知音(ちいん)の人々其家に集りてありし処へ、極めて老いさらぼいて其女帰り来れり。如何(いか)にして帰って来たかと問えば、人々に逢いたかりし故帰りしなり。さらば又行かんとて、再び跡を留めず行き失せたり。其日は風の烈(はげ)しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの婆(ばば)が帰って来そうな日なりと云う。

草履を脱ぎ置くというのは、自殺の場合などもそうですが、いわば異界へ行くときのメッセージです。親類知音の人々が家に集まっていたのは、その娘の追善供養をしていたのかもしれませんが、そこに現れた老婆は生きているのか死んでいるのかよくわかりません。人間なのか、それとも妖怪や幽霊なのか、私たちはどちらかに決めたくなるのですが、『遠野物語』の世界は曖昧で、一義的にこうだと決めつけられないあり方を許容しているのです。

現代社会は生死の間の曖昧さを排除したがり、臨終の瞬間には生から死へと揺るぎなく移行します。しかし遠野のような共同体では、生と死の間にある、曖昧で不安定な境界に起こる出来事を、言い伝えてきたのです。
「サムトの婆」とは大風と共にやってくる精霊のようなものですから、宮沢賢治作の「風の又三郎」が思い出されるところではないでしょうか。その精霊を、『遠野物語』では「サムトの婆」という老人として語り、宮沢賢治は「又三郎」という子供の姿で描いたともいえます。同じ岩手県の、とても近い精神風土から生まれた話だといえるでしょう。

そして当の柳田国男自身も、子供の頃に何度か神隠しに近い経験をしています。例えば、あるとき不意にふらふらと家を出て、遠く離れたところまで一人で歩いていき、近所の夫婦に発見されて連れ戻されますが、「どこへ行くつもりか」と聞かれて、「神戸の叔母さんのところへ」と答えたといいます。神隠しに遭いやすい少年や青年は、「普通の児のように無邪気で無く、何等(なんら)か稍(やや)宗教的ともいうべき傾向をもって居る」のではないか、などとも述べています(『山の人生』1926)。

また、「遠野物語拾遺」には、書き出しで「生れ変るということも屢々あることだと謂う」と始まる話があり、上郷村に生まれた子供がいつまでも握った手を開かないので、無理に開かせてみると紙切れがあり、そこに北上(きたがみ)の田尻の太郎爺の生まれ変わりだと書いてあった、といいます(拾遺二四五話)。故意に手に紙を握らせただけではないかとも思える、ちょっと怪しい話ではありますが、こういう生まれ変わりの感覚はチベット密教などにもあり、世界各地でも精神の古層にあるものだと思います。遠野では、生者はデンデラ野で老い、死んだらダンノハナへ行きますが、生まれ変わって再び生者の世界に戻ってくるという、魂の循環構造があったのです。

「死んだら魂はお山に行く」といいますが、あるいは仏教で極楽往生を説くように、死んだらどうなるのかを説明することは宗教の最大の課題でしょう。『遠野物語』の序文で書かれたように、柳田が遠野へ行ったとき、盂蘭盆に新しい仏のある家では紅白の旗を高く揚げて魂を招いていました。魂が早池峰山などの山へ行って帰ってくるという祖霊信仰の姿をそこに見ていたのです。

その一方で遠野では、デンデラ野やダンノハナがあり、菩提寺もすぐ傍にあって、人々は身近な場所に老いや死を見つめてきました。神道や仏教以前の、日本人の最も基層にある魂の信仰が、『遠野物語』のなかには息づいています。柳田はそれを後に「固有信仰」と呼ぶことになりますが、この作品で「魂の行方」を人々がどう考えてきたのかという大きなテーマにぶつかったことがわかります。

■『NHK100分de名著』2014年6月号より

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