教養

『遠野物語』に綴られた 本当にあった嫁姑問題


2014.06.20

柳田国男

遠野に生まれ育ち、作家を志して上京した佐々木喜善(きぜん)。佐々木は柳田国男(やなぎた・くにお)と出会い、故郷に伝わる神や妖怪、家々の伝承などを語って聞かせた。これを「一字一句をも加減せず感じたるままを(序文より)」書いた文章が『遠野物語』としてまとめられ、明治四十三年(1910)に初版が発刊された。『遠野物語』は遠野という地名を広く知らしめ、「遠野といえば昔話の土地」というイメージを定着させると共に観光客の招来にも多大な貢献をした。

「しかし、『遠野物語』には、実は観光の場には出てこない『負の遺産』とでもいうべき陰の部分があります」と、東京学芸大学教授の石井正己(いしい・まさみ)氏は語る。そんな負の遺産の一つ、「親殺し」の話を石井氏に解説していただいた。

*  *  *

一一 此女と云うは母一人子一人の家なりしに、嫁(よめ)と姑(しゅうと)との仲悪(あ)しくなり、嫁は屢(しばしば)親里へ行きて帰り来ざることあり。其日は嫁は家に在りて打臥して居りしに、昼の頃になり突然と悴(せがれ)の言うには、ガガはとても生(いか)しては置かれぬ、今日(きょう)はきっと殺すべしとて、大なる草苅鎌を取り出し、ごしごしと磨(と)ぎ始めたり。(……)

この話では、息子が母親に殺意を抱いて実行に移すまでの緊張感が見事に記述されています。「ガガは方言にて母ということなり」と頭注にありますが、殺人を宣言する緊迫した会話には、その土地の生活のなかで使われている言葉が出てきます。『遠野物語』は全国に通用する文語体で書かれていますが、こういう箇所は共通語には置き換えられなかったことがわかります。

母親は息子に許してくれと詫び、嫁も諫(いさ)めるのですが、息子は許そうとしません。息子は母親が逃げられないように戸口を閉ざし、「便所に行きたい」と母親が言うと、おまる(持ち運びできる便器)をもってきて、「ここにしろ」と命じます。

夕方になり、息子はついに、磨いだ鎌で母親の左の肩口(かたぐち)を目がけて斬りつけます。囲炉裏の上には火棚(ひだな)というものがあって、そこで物を乾燥させるのですが、一度目はそこに引っ掛かってうまく斬れません。二度目は反対に右の肩から斬りつけ、母親の悲鳴を聞いてやってきた村人たちに取り押さえられ、息子は警察官に引き渡されます。

母親は滝のように流れる血のなかで、「自分は恨みも抱(いだ)かずに死ぬので、孫四郎は宥(ゆる)してください」と言い、「之を聞きて心を動(うご)かさぬ者は無かりき」と続きます。そしてその後、息子の孫四郎は、いまでいう精神鑑定で、病気のために起こした犯罪であると診断されて放免され、「家に帰り、今も生きて里に在り」と書かれて、この話は終わります。

現代では考えにくいことですが、こういう事件を起こした人間がそのまま村人の一人として生活していたのです。村の人々は皆この事件を知っていますし、これを語った佐々木喜善はこの人を見知っていたはずです。かつての共同体では、ある家で起こった悲惨な事件を内側に抱え込みながら暮らしてきたことが、この話からはよくわかります。

母親と嫁の対立に息子が悩むというのは、いまではもう古典的な話題になってしまいましたが、家族が抱えている深い闇の部分というのは、百年経っても変わっていません。むしろ新聞やテレビのニュースを見れば、現代のほうがより閉鎖的になって、問題はさらに深刻化していると感じられることさえあります。ですからこうした人間の危うさを含めて、この作品の「負の遺産」ともいえる普遍性を考えてみることは、大きな意味があると思うのです。

ところで、この話には「孫四郎」という名前まで出てきますので、地縁・血縁の強い地元の人が読めば、どこの家の事件か特定できたはずです。五五話の河童の子殺しの話では「○○○○○と云う士族」となっていましたが、これは草稿から清書、初校まで実名になっていたのを、再校の段階で伏せ字にしたものです。しかし、五五話のような例はまれで、『遠野物語』では、その話が本当にあった「現在の事実」であることを保証するために、地名・人名をはじめとする固有名詞が丁寧に書かれています。なかにはスキャンダルもありますから、いまならとても書けないような個人情報といえましょう。

『遠野物語』の初版刊行の直後、柳田は佐々木喜善への葉書に、「人名などは斟酌(しんしゃく)すること能(あた)わざりし故 わざと遠野の人には一冊もおくり不申(もうさず)」と書いています。遠野の人には『遠野物語』を読まれたくなかったのです。それは、こうした個人情報を克明に書いてしまったためではないかと推測されます。

ところが佐々木のほうは『遠野物語』を手にして喜び、「我が村の人達ともなりかわりて御礼申上候 此の書にて浮世にはじめて遠野という処ありて そして土淵村と言う処ありて 狩人の某があるよしまで世に出で候」と柳田に手紙を書きます。たしかに遠野が有名になったのは、『遠野物語』によることは間違いありません。

できあがった『遠野物語』について、書き手と話し手の感覚には相当な差異があったことがわかります。それぞれの立場がこの作品の本質と深く関わる認識であり、それは現代にまで影響していると考えられます。

■『NHK100分de名著』2014年6月号より

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