教養

「日本のグリム」と呼ばれた佐々木喜善と『遠野物語』


2014.06.16

柳田国男

柳田国男(やなぎた・くにお)が、遠野出身の佐々木喜善(きぜん)から聞いた神や妖怪などの不思議な話を、研ぎ澄まされた文章にまとめたもの、それが『遠野物語』である。この佐々木喜善とはどのような人物であったのだろうか。東京学芸大学教授の石井正己(いしい・まさみ)氏が解説する。

*  *  *

此(この)話はすべて遠野の人佐々木鏡石(きょうせき)君より聞きたり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜分折々訪ね来(きた)り此話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手には非(あら)ざれども誠実なる人なり。自分も亦(また)一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。(……)

『遠野物語』序文の冒頭です。「佐々木鏡石君」とあるのは佐々木喜善のことで、「鏡石」はペンネームです。泉鏡花の「鏡花」に対し、ちょっとへりくだってそのペンネームを真似たのだといわれています。「明治四十二年の二月頃より」とあって、すでに述べた事実と食い違っています。作為の真相は不明ですが、佐々木がこの年の正月に一度帰省して聞いた話が含まれるので、そうした経緯で聞き書きが中断したという印象を避けたかったのかもしれません。

佐々木喜善は明治十九年(1886)に遠野の土淵村の山口という集落で生まれ、祖父からは医者になれと言われますが、医者には向かず文芸の世界を志しました。東京に出て東洋大学の前身にあたる哲学館や早稲田大学で学び、上田敏(びん)などの評価を得ながら小説を書いて、北原白秋(はくしゅう)や前田夕暮(ゆうぐれ)といった文壇の若い仲間もできます。そのなかに少し年上の友人である水野葉舟(ようしゅう)がいたのです。

哲学館の設立者である井上円了(えんりょう)は、妖怪学という学問を講じていました。佐々木が哲学館に入学したのもその授業を聞くためでしたが、円了は基本的に、妖怪を近代の合理主義のなかで科学的に説明しようとした人ですから、佐々木は幻滅してしまいます。

そんな佐々木にとって、柳田国男は不可思議なことをそのまま認めてくれるところがあり、二人はお互いに共感できる関係だったのでしょう。柳田自身も、自分が神隠しに遭いやすい気質であることを認めていました。のちに展開する柳田のきわめて個性的な学問は、例えば神隠しや、大学生の頃に伊良湖(いらご)岬の海で見た椰子(やし)の実といった、自分が身近で体験した小さな出来事から生まれました。それらを個人の体験にとどめてしまうのではなく、日本の歴史や人類の歴史を考えるきっかけにしたのは、最大の特色といえましょう。

その後、佐々木は病気になるなどして遠野に帰ります。小説家の道はあきらめて、『遠野物語』に出てくるザシキワラシやオシラサマ、昔話の採集や研究に打ち込んで、柳田の作ろうとした学問の有力な協力者となります。昭和八年(1933)に46歳の若さで亡くなるまで、彼は『江刺郡(えさしぐん)昔話』『紫波郡(しわぐん)昔話』『老媼夜譚(ろうおうやたん)』『聴耳草紙(ききみみぞうし)』などの昔話集を刊行し、金田一京助に「日本のグリム」と呼ばれ、折口信夫(しのぶ)をして「グリム以上だ」とまでいわしめる偉業を残します。

『遠野物語』の序文は「鏡石君は話上手には非ざれども誠実なる人なり。自分も亦……」とありますが、ここで柳田は、佐々木が嘘をいう人ではなく、誠実な話し手であることを強調し、自分自身もまた誠実な書き手であるといいます。そして、「一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり」というのは、語られたままでもなければ、聞いたままでもないことを示します。強い感受性でもって、精魂込めた文章による作品を主体的にまとめたのです。ここから、名文と称されるような、研ぎ澄まされた文体は生み出されたのだといえましょう。

■『NHK100分de名著』2014年6月号より

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