教養

『遠野物語』が内包する「負の遺産」の役割


2014.06.12

柳田国男

役人として勤めるかたわら、田山花袋や島崎藤村ら文学仲間との交流も深めていた柳田国男(やなぎた・くにお)を、明治四十一年(1908)、遠野出身の青年・佐々木喜善(きぜん)が訪れる。彼の話す遠野の話に「びっくり」した柳田はさっそく聞き書きを始め、その翌日には『遠野物語』と題する草稿に着手した。

東京学芸大学教授の石井正己(いしい・まさみ)氏は、東日本大震災以降のいま、この国のあり方を考え、また家族や故郷といったものを考えていくひとつの大きな原点として、改めてこの『遠野物語』を位置づけたいと考える。

*  *  *

この作品には、山の神、里の神、家の神をはじめ、天狗、山男、山女、河童、幽霊、まぼろし、狼、熊、狐、鳥などの現れる短い話が、119話収められています。

岩手県の中央部に位置する遠野は、北上山地の中南部、周囲を山々に囲まれた盆地にあります。北に標高1917メートルの早池峰山(はやちねさん)、東に1293メートルの六角牛山(ろっこうしさん)、西に1038メートルの石上山(いしがみさん)という遠野三山に囲まれており、盆地底は標高250メートルあまりですが、気候の厳しい寒冷地です。現在の遠野市は、約826平方キロメートルの面積の地域に、3万人弱の人々が暮らしています。

遠野というと、辺陬(へんすう)の地というイメージがあるかもしれません。しかし、江戸時代には遠野南部氏一万石の城下町として栄え、内陸と海を結ぶ交易の中継地として賑わいました。内陸の花巻と沿岸の釜石からは、それぞれおよそ40キロメートルの距離にあります。

『遠野物語』の序文には、「遠野の城下は則ち煙花(えんか)の街なり」と書かれています。「煙花の街」とは華やかに賑わう街という意味ですから、明治の終わりになっても、一万石の城下町の余韻が残っていたのです。

改めて考えてみれば、『遠野物語』にあるような話が数多く残ったのは、遠野がたんに山深い場所だったからではなく、城下町の文化力が影響したからに違いありません。山村と城下町が間近にあるという環境だからこそ、古くて新しい話が伝わってきたのでしょう。

やがて、大正四年(1915)、花巻─ 仙人峠間に岩手軽便鉄道が開通し、さらに昭和二十五年(1950)の釜石線全通によって、しだいに町から人と物の集散地としての機能は失われていきました。

岩手国体が開催された昭和四十五年(1970)は、『遠野物語』の発刊からちょうど60年目にあたり、その頃から遠野はこの物語を観光資源とした町づくりを進めて、「民話のふるさと」として知られるようになります。特に曲がり家(や)の囲炉裏端(いろりばた)で語り部のお婆さんが昔話を語る様子は、テレビでも繰り返し放送され、遠野といえば昔話の土地というイメージがすっかり定着したように思われます。

しかし、『遠野物語』には、実はそうした観光の場には出てこない「負の遺産」とでもいうべき陰の部分があります。それは例えば、「子殺し」や「親殺し」といった、いささかおどろおどろしい事件なのですが、私はこういう「負の遺産」にも、人間のもつ普遍的な問題を考えるうえで、とても大きな価値があると思っています。

明治二十九年(1896)の三陸大津波の話もここには出てきますが、特に東日本大震災以降のいま、この国のあり方を考え、また家族や故郷といったものを考えていくひとつの大きな原点として、改めてこの作品を位置づけたいと思うのです。昔の人がいろいろと思い悩みながら生きてきた「負の遺産」を読み解くことによって、決して上っ面だけでは処理できない、人間の心の奥底にある問題を、より深く探ることができるのではないでしょうか。

『遠野物語』の初版刊行から、一世紀と少し経ちました。自然について、神様について、人間の生死について、あるいは社会のありようについて、かつての日本人が何を感じ、どのように考えて生きていたかを知ることは、たんに昔を懐かしむだけではなく、現代の私たちが未来の生き方を豊かに考えていくための、大切なよすがともなり得るはずです。

■『NHK100分de名著』2014年6月号より

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