教養

「旧約聖書」は「掟」である


2014.05.24

バベルの塔の物語〔創世記11章〕(ブリューゲル画)

「旧約聖書はどのような内容になっているかを簡単に述べろと言われると、きわめて困る、ということになります」と話すのは千葉大学文学部教授の加藤隆(かとう・たかし)氏。それでも敢えて述べるならば、古代ユダヤ民族の歴史が語られているのだという。しかし、それはただ歴史を記録しておいて尊重されるようにする、といった性質のものではない。旧約聖書の中で語られている物語は「掟(おきて)」とされているのだと加藤氏は指摘する。

 

*  *  *

 

きわめて重要なことを指摘しておきます。

 

「ユダヤ教の聖書」は、ユダヤ教の枠内で権威ある書物として作られ、そして実際に権威ある書物として定着しました。しかし、民族の古い歴史を記録しておいて尊重されるようにする、といった程度のものではありません。

 

「ユダヤ教の聖書」は、「律法」とされています。「律法」という日本語は、ユダヤ教の「律法」だけを指す特殊用語になっていて、意味が分かりにくいかもしれません。元のヘブライ語では「トーラー」です。「トーラー」は、まずは普通の語で、「法律」「掟」といった意味の語です。たとえば英語では「Law」という単純な訳が用いられています。

 

ある集団に「法律」「掟」があるならば、その集団のメンバーは、その「法律」「掟」を守らねばなりません。たとえば「日本」という集団があって、そこに「法律」「掟」があれば、その「法律」「掟」はメンバー全員に対して強い権威があります。メンバーは、その「法律」「掟」を守らねばなりません。

 

「聖書」が「律法」であるということは、「聖書」が、単なる「聖典」や「古典」ではなく、「法律」「掟」のような強い権威をメンバー全員に対してもつものだということを意味しています。

 

ところで「法律」「掟」は、行動の方針や義務、禁止事項などがあれこれと定められているものだというのが、通常の理解です。「ユダヤ教の聖書」の中には、「法律」「掟」らしきテキストも含まれていますが、「ユダヤ教の聖書」は、全体としては物語です。「物語」が「法律」「掟」だというのは、きわめて困惑させられる事態です。しかし「ユダヤ教の聖書」は「律法」とされていて、つまり「法律」「掟」として権威があるとされています。

 

「法律」「掟」ならば、集団のメンバーは、それを遵守(じゅんしゅ)しなければなりません。ところが、実際の「ユダヤ教の聖書」「律法」は、物語です。物語をどのように遵守しろと言うのでしょうか。「ユダヤ教の聖書」「律法」は「法律」「掟」としては不適切である、とされるべきところです。しかし「ユダヤ教の聖書」は「律法」であって、「律法」としての権威があるものとして定着します。「ユダヤ教の聖書」「律法」は「法律」「掟」としてはいかにも不適切であるとしても、それは「法律」「掟」のように権威あるものとして存在しているので、無視したり否定したりすることはできません。とするならば、物語が「法律」「掟」とされていることの意味を考えて対処する、ということになります。

 

■『NHK100分de名著』2014年5月号より

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