教養

片山廣子が芥川龍之介に抱いた“文学への恋”


2014.05.28

歌人・翻訳家として明治・大正・昭和の三時代を生きた片山廣子(かたやま・ひろこ)。1957(昭和32)年に79歳で没するまでに、実弟、実妹、年下の文学の友など、周囲の人々に次々と先立たれる人生を送った。廣子は42歳のときに銀行家だった夫の片山貞次郎を亡くしたが、その4年後に軽井沢で芥川龍之介と出会い、恋をしたという。「かばん」会員の佐藤弓生(さとう・ゆみお)さんは、廣子の芥川への思いを「文学への恋ではなかったか」と推察する。廣子を知る翻訳家・村岡花子の回想も交えて、廣子の”恋”を佐藤さんが解説する。

 

*  *  *

 

日の照りの一めんにおもし路のうへの馬糞にうごく青き蝶のむれ

 

関東大震災後、しばらく歌を発表していなかった廣子は、避暑地ではればれと文学者どうしの交流をたのしんだようで、芥川らと遊んだ追分でのこうしたスケッチを詠んでいる。

 

学校を卒業した長男達吉はこのころから、長女總子(ふさこ)も数年後には、文筆に携わるようになった(筆名はそれぞれ吉村鐡太郎、宗瑛)。堀辰雄が廣子・總子の母娘に思慕を抱き『聖家族』『菜穂子』のモデルとした話は知られるところで、軽井沢の空気をよく伝える。

 

軽井沢はきっと、特別な感情の生まれやすい場所なのだ。芥川龍之介が新潟(貞次郎の出身地)にいる廣子を想って詠んだと言われる旋頭歌「越びと」二十五首もまた、知られている。

 

一首目は「あぶら火のひかりに見つつこころ悲しも、/み雪ふる越路のひとの年ほぎのふみ。」とはじまり、十二首目には「うつけたるこころをもちて街ながめをり。/日ざかりの馬糞にひかる蝶のしづけさ。」とある。廣子の歌との唱和がおもしろい。

 

芥川は死後に発表された『或阿呆の一生』でも廣子について「彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した」云々と述べている。公には芥川のことを多く語らなかった廣子からの手紙もまた「わたくしが女でなく男かあるひはほかのものに、鳥でもけものでもかまひませんが女でないものに出世しておつきあひはできないでせうか」と熱心な調子を帯びている。

 

辺見じゅんの記述によると、この手紙を境にふたりは東京でも食事や観劇をともにしていたそうである。廣子が「女でないものに出世して」などと奇妙なことを言っているのは、芥川より14歳年長であり、一男一女の母でもある立場を考えてのことだろうか。

 

もちろん、これは恋だろう。ただ、恋にもいろいろある。

 

廣子はかつてバーナード・ショー作『船長ブラスバオンドの改宗』の訳者あとがきに「私は地味なさびしい家庭の家内として、自分の夫と兄弟よりほかの男子と口をきくことは極く稀の事です。それ故私の男子の言葉の知識は甚だ貧弱です」と、男性の台詞の訳し分けが難しい理由を説明した。

 

韜晦(とうかい)があるとしても、この文はどこか胸をうつ。文学に理解のあった夫は、しかし文学の専門家ではなかった。翻訳家・村岡花子の回想によると、廣子は夫の逝去後まもない日、「きょうね、馬込のほうへ散歩にいったときにね、弁天池の底へ結婚ゆびわをほうり込んできました」と言ったそうである。花子でなくても面食らう。

 

廣子の芥川への恋とは、文学への恋ではなかったか。

 

■『NHK短歌』2014年5月号より

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