教養

絶世の美少年だった世阿弥が受けていた差別


2014.01.21

室町時代に生き、能楽を大成したことで知られる世阿弥(ぜあみ)は、37歳のときに自分たちの芸を子孫に伝えるための秘伝書『風姿花伝(ふうしかでん)』の執筆を始める。その功績は広く世に知られているが、世阿弥とはどういった人物だったのだろうか。明治大学法学部教授の土屋惠一郎(つちや・けいいちろう)氏がその少年期をひもとく。

 

*  *  *

 

世阿弥(1363?〜1443?)は、室町初期に活躍した能役者であり、生涯でわかっているだけでも50作以上もの作品を書いた能作者です。

 

大和猿楽の一派である結崎座(ゆうざきざ)(観世座/かんぜざ)の棟梁(とうりょう)、観阿弥の長男として生まれました。人気役者であった父や関係のあった貴族たちから、和歌、連歌(れんが)、蹴鞠(けまり)などの教養を授けられ、役者として父とともに舞台に立っていました。12歳の時、京都の今熊野(いまくまの)神社で行われた猿楽興行に父とともに出演し、臨席していた時の将軍、足利義満(あしかが・よしみつ)の寵愛を受けるようになります。

 

少年時代の世阿弥は、大変な美少年だったと言われています。13歳の時、関白二条良基(にじょうよしもと)から「藤若(ふじわか)」という幼名を与えられ、その時良基は、「よくぞこんな美童が輩出したものだ」と、東大寺尊勝院の僧に宛てた手紙に書いて絶賛しました。その後も世阿弥は、たびたび義満と同席して盃(さかずき)を賜(たまわ)るなど、恵まれた時代を過ごしました。祇園祭の桟敷(さじき)に義満は世阿弥(藤若)の同席を許していますが、内大臣にもなった貴族の三条公忠(さんじょうきんただ)はその日記の中で、大樹(義満)は世阿弥という「児童」を寵愛しているが、この者は「散楽者」であり「乞食(こつじき)の所行(しょぎょう)」する者であると評して、義満の世阿弥への扱いを非難しています。この日記を見ると、世阿弥は今日考えられる芸術家というイメージではなく、「乞食」として差別されていたことがわかります。世阿弥がそうした身分との緊張の中で生きていたことを背景にして『風姿花伝』を読むと、さらにその言葉は重みを持つことでしょう。

 

 

■『NHK100分de名著』2014年1月号より

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