教養

アラビアンナイトが本家で不人気のワケ


2013.12.08

9世紀のバグダードで原形ができたといわれる「アラビアンナイト」には「これ」といった底本は存在しない。18世紀にフランス人の東洋学者が再発見して以降、外国人によりどんどん新しい物語が追加され、現在の形となった。アラビアンナイトは世代を超えて広く愛される文学作品だが、実はイスラーム地域ではあまり人気がないのだという。国立民族学博物館教授の西尾哲夫(にしお・てつお)氏が、その背景を詳解する。

 

*  *  *

 

アラビアンナイトは外国人の色眼鏡や誤解などによって変形されつづけてきたわけですが、その咎(とが)は本家本元の彼ら自身にもないわけではありません。というのも、イスラームの人びとは、たとえば日本人が『源氏物語』をいつくしんできたほどにはアラビアンナイトを大事に扱ってこなかったからです。

 

アラビアンナイトは中東ではいわゆる「国民文学」や「古典文学」ではありません。何十巻もの児童版が小学校の教室それぞれに揃っていて、子どもたちが日常的に手にとって読んだり語ったりという状況にはなっていないのです。

 

では、その理由は何なのかというと、大きく三つあるように思います。

 

一つは、アラビアンナイトの内容の中に、必ずしもイスラームの教えに合わない点があることです。

 

たとえば、イスラーム法で認めていない聖者崇拝や、神秘主義的な要素が垣間見られます。エロティシズムそのものは禁止ではありませんが、背徳的な行為はやはりよろしくありませんし、偶像崇拝が禁じられているので、西洋で描かれた誤った表現の挿絵が挿入されていたりしたらNGです。このために何度も禁書の憂き目にあってきました。

 

二つ目は、文学的な正統性の問題です。

 

中東世界では口語(話し言葉)と文語(書き言葉)がはっきりと分かれており、きちんとした文語で著されていないとクラシックとみなされません。アラビアンナイトは口伝えで寄せ集められたようなところがありますから、文体としては中途半端で、この点もあまり価値が置かれてこなかった理由です。ちなみに、同じ中東の中世文学に『カリーラとディムナ(※1)』という動物寓話の古典があります。たいへん典雅な文語体で書かれていますので、世界的にみればアラビアンナイトのほうがはるかに有名なのですが、当地の人びとは断然こちらに軍配を上げます。

 

三つ目は、中東世界では、「民話的なるもの」に対するまなざしがそもそも冷淡だということです。

 

民話というと、子ども向けのお話と似たようなものと誤解されるかもしれませんが、そうではありません。民話というのは近代以降、帝国主義も含めていわゆる国民国家というものが作られていく過程において、それぞれの国々がそれぞれのナショナル・アイデンティティを確認するために採集し、まとめられていったものです。フランスのぺローの童話(※2)や、ドイツのグリム童話(※3)などもそうです。それによって自国の歴史的な特異性や優位性を確認し、他国に打ち勝っていくための原動力としたのです。日本でも、柳田國男(やなぎた・くにお/※4)の民俗学などは日本民族が国際社会の中で伍(ご)していくための一環として取り組まれました。

 

しかし、中東においてはそのような探求はほとんど行われませんでした。なぜなら、イスラーム世界はアッラーを信奉する一つの宗教というくくりにおいて、アフリカからアジアまで多地域、多民族の人びとがゆるやかに連合して成り立っているウンマ(共同体)です。その状況においてフォークロア的なものが追求されたら、地域や民族の違いを際立たせることになってしまいます。たとえばモロッコとシリアでは、サウジアラビアとチュニジアでは、あるいはイラクとエジプトでは、まったく違う民衆の言葉、民衆の文学が採集されるでしょう。すると、「アラブは一つ」のはずなのに、「アラブの分断」を促すことになりかねません。それはまた、近代以降はなはだしくなっていた西欧列強による中東の分割統治を正当化することにもなってしまいます。

 

このようなアラブ・ナショナリズムの考え方があるため、中東世界は地域の民衆文化やエスノグラフィー(民族誌学)の探求にまったく熱心でないのです。現在も中東でそのような研究をしているのはほとんどが外国人研究者です。

 

※1『カリーラとディムナ』:インドのサンスクリット説話集に基づく物語。カリーラ、ディムナと呼ばれる2匹のジャッカルが登場する。パフラビー語、シリア語、アラビア語などの翻訳を経て東西50数か国語に翻訳された。アラビアンナイトの訳者でもあるアントワーヌ・ガランは、本書の仏訳も手がけている。

 

※2 ペローの童話:フランスの童話作家ペローが、民間伝承をもとに著した童話集(1697年刊行)。「シンデレラ」「赤ずきん」「眠れる森の美女」などを収録。

 

※3 グリム童話:ドイツの言語学者グリム兄弟が、ドイツ各地で収集したメルヘンをまとめたもの(1812~15年刊行)。「白雪姫」「ヘンゼルとグレーテル」などを収録。

 

※4 柳田國男:1875~1962。日本民俗学の開拓者。著書に『遠野物語』『蝸牛考』など多数。

 

■『NHK100分de名著』2013年11月号より

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