教養

「アラビアンナイト」を多彩な展開に導いた帝国主義とオリエンタリズム


2013.11.24

現在、世界に流通している「アラビアンナイト」は、18世紀にフランス人東洋学者アントワーヌ・ガランが中東の古写本を翻訳し、本国で販売したものが元となっている。しかし、この写本は途中で切れており、アラビアンナイトの別名「千一夜物語」には遠く及ばない二百八十二夜分しかなかったという。

 

出版社から続きを訳すよう矢の催促を受けたガランは、シリア出身の人物から、アラビアンナイトのような故郷の民話をいろいろ聞き取り、それを翻訳の続きに加えていった。この中には「アラジン」「アリババ」「空飛ぶ絨毯(じゅうたん)」といった、現代人がアラビアンナイトの代表作として認識している物語が含まれていた。この大ヒットを受けて18世紀以降、ヨーロッパではアラビアンナイトブームが盛り上がったが、国立民族学博物館教授の西尾哲夫(にしお・てつお)氏によると、それは純粋に文学的な関心からではなかったという。そこには、西欧列強の植民地政策という大きな歴史的要因があったのだ。

 

*  *  *

 

多くのみなさんは、中東よりもヨーロッパのほうが合理的精神に富んでいて、いろいろな意味で先進的であるというイメージを持たれているかもしれません。しかし、それはルネサンス以後のことで、それ以前の中世においてはイスラーム世界のほうが文化や科学技術など、さまざまな点において一歩二歩先んじていたのです。それが、近世に入ると次第に形勢が逆転していきます。

 

ヨーロッパの優位と中東の劣勢が明らかとなったのは、ナポレオンのエジプト遠征(1798~1801)がきっかけでした。ガラン版のアラビアンナイトが出版されたほぼ1世紀後のこと。このころ中東はオスマン帝国の時代でしたが、そのあと凋落(ちょうらく)が進み、なし崩し的に帝国主義国家の進出を許すことになります。ガランのころには、ヨーロッパの中東を見る目はまだ「東洋趣味」の域を出ていなかったのですが、植民地化の流れにともなって、相手を支配するための思惑に満ちたまなざしへと変わっていきました。エドワード・サイード(※)の言うところの「オリエンタリズム」です。ある意味から言うと、アラビアンナイトは奇しくもこのような時期に西洋人に見出されたために、多彩な展開をとげていったともいえるのです。

 

とりわけナポレオンによって侵略されたエジプトは、アラビアンナイト増産の拠点のようになりました。カイロに近いブーラークには中東初の印刷所が作られ、文学としてはアラビアンナイトが最初の印刷本になりました。「ブーラーク版」と呼ばれるアラビア語のアラビアンナイトです。

 

この版には千一夜に近い物語がおさめられているのですが、それは、ヨーロッパ人の熱狂的な写本探しに応じて物語をかき集めたハンターたちの成果でもあります。エジプトはアラビアンナイトの最終的な完成に貢献した場所なので、現在みられるアラビアンナイトは、最後のほうにいくほどエジプト系の民話が多く含まれています。バグダードの話といいながら、明らかにエジプトの風俗が反映されているのです。

 

現在までに出版されたアラビア語版のアラビアンナイトは全部で四種類あり、早い順に、カルカッタ第一版(1814~18、全二百夜)、ブレスラウ版(1824~43、全千一夜)、ブーラーク版(1835、全千一夜)、カルカッタ第二版(1839~42、全千一夜)といいます。このうちカルカッタ第二版は、アラビアンナイトの集大成ともいえるもので、その後ヨーロッパで訳される多くの翻訳本の底本になりました。

 

結局のところ、アラビアンナイトは「これ」という底本がない古典であり、底本がないゆえにどんどん新しい物語が加えられ、さらにヨーロッパと中東という二つの文明の間を行ったり来たりするうちに変形が進んだ物語といえます。「古い写本が見つかった」と称して、偽写本の捏造(ねつぞう)もしばしば行われました。しかし、オリジナルがないゆえに、どれが正しくどれが誤りといった判断をするのは困難です。いつ、どの話が加えられたのかという判断も難しく、また、いつの段階までに収載されたお話を正式のアラビアンナイトと呼ぶのか、といった定義のようなものがあるわけでもありません。

 

アラビアンナイトとは、そのような存在なのです。

 

※エドワード・サイード:1935~2003。パレスチナ出身のアメリカの文学研究者、文明評論家。西欧が「東洋」を自分たちとは異なるエキゾチックなものと見ることで、自分たちの文化の優位性を確認するまなざしを「オリエンタリズム」と呼び、植民地支配、人種差別につながるものとして批判した。著書に『オリエンタリズム』『文化と帝国主義』など。

 

■『NHK100分de名著』2013年11月号より

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